8月19日(火)
その日は静内発の始発に乗るために5時に起きる予定だった。
ところが、起きて時計を見てみると、6時半を過ぎている、、、
しまった、もう間に合わない。
で、次の電車は、、、新冠9時49分。
えらく、間が離れているものだ。また時間のロスか。
まぁ、次の電車までにはかなり時間があったので、結局二度寝。
次に起きたときは7時をだいぶ過ぎていた。
朝だ。
昨日からの雨が、まだポツポツと降ってはいるが、もうやみそうな感じである。
それにしても、昨日真っ暗闇で不気味だった光景は、
木々に囲まれた美しい自然の景色へと変わっていた。
寝起きのあまり良くない私ではあるが、雨に濡れたこの奇麗な木々のおかげで、
非常に心地よい朝を迎えることとなった。
下に降りてみると、起きて朝食をとっている人や出発の準備をしている人たちがいた。
どうやら殆どがライダーの人で、JRを使って来たのは私くらいのもんだろう。
私は素泊まり料金しか払ってないので、朝食は食べずに、トイレに行ってまた部屋に戻った。
出発時間まで、まだだいぶあったのでゆっくりと身支度をしながら、
今日は襟裳のあとはどうしようか、計画を立てていた。
YH内をちょっと見て回って、それからちょっと早めだが、出発することにした。
外は、昨日降った雨で湿った木の匂いが漂っていたが、もう雨は止んでいた。
地図を見ながら、歩いて新冠駅へ。1〜2kmといったところか。
まぁ、歩いても全く問題ない距離だろう。
それにしても、昨日通った暗闇が嘘のように奇麗だった。
国道に出ると、牧場が見えた。北海道に来て初めてみる牧場だった。
とはいっても、牛じゃなくて馬。そこんとこは流石に日高だけある。
(馬でも牧場って言うんだっけ、、、?)
間近で見ると、やっぱ馬って大きいもんだ。
それにしても、空気が奇麗、景色も奇麗。ホントいいところだなぁ、、、
駅の方に行くに連れて、小さなお店がちらほらと見えるようになってきた。
超ド田舎だと思っていたが、そこまでひどくはない。
コンビニっぽい小さなショップで、朝食のパンと飲み物を買った。
それから、一応実家に電話を入れてみた。
すると、お袋は昨日連絡が無かったのをかなり気にしてたらしい。
今どこにいるの?と聞かれて、新冠だといったが、何処か分かりかねているようだった。
占冠じゃないの?とか、混同しているようだったので、日高地方のどこそこと言っておいた。
そして、心配だから毎晩実家に電話してくれとのこと。全く子供じゃあるまいし、、、
まぁ、心配性のお袋のこったからなぁ、、、面倒だけど電話してやっか。
そして、新冠駅に到着。
YHからちょっと歩いたけど、そんなに疲れてはいない。
景色が奇麗だったから、疲れを忘れてたのかもしれないが。
昨日閉まっていた駅舎はちゃんと開いていた。
中にもお婆さんや旅行者らしき人がいた。
駅舎の中のベンチに腰掛け、のんびりと今先買った朝食を頬張り、
それから、電車の来るまでゆっくりと待った。
9時49分 新冠駅発
昨日と同様、一両でやってきた。
車内はガラガラって訳でもないが、そんなに込んではいない。
電車は次の静内駅でかなり停車したので、その間に駅員の人に日付印を押してもらった。
この付近では静内駅は貴重な有人駅で、日高本線の駅でみどりの窓口があるのは
(時刻表の地図で緑色に塗られているのは)、苫小牧を除けば、ここ静内だけである。
なお、ここでは電車の接合が行われたようで、2両編成になった。
よって、車内もだいぶ広々とした感じになり、4人がけのところを占領して、
のんびりとくつろいで、日高の景色を見ることが出来た。
それにしても、車窓から見ただけでも、日高地方は馬が多い。
至る所に馬が飼われていて、いい加減見るのが飽きそうになるほどだった。
でも、昨日十分に睡眠をとったおかげか、あまり眠くはならず、十分景色を堪能できた。
そして、電車は日高支庁所在地の浦河町を過ぎて、終点の様似へと向かっていった。
11時31分 様似(さまに)駅着
ようやく終点の様似に到着。しかし、襟裳岬まではまだまだだ。
ここから、バスに乗らなければならないので、バスの切符売場へ行った。
JRバスなので、青春18は使えないか聞いてみたが、やはり駄目であった。
このとき北海道フリー切符を知っていたら、それで乗れたのだが、、、、
やむなくお金を払って、襟裳岬までの切符を購入した。
駅前はちょっとした食堂とかがあるだけの小さい町である。
しかし、時間があまり無いので、早々にバスに乗り込んだ。
バス停の時刻表を写真で撮っている人もいた。
11時40分 様似駅前発
JRバスに揺られてどんどん南下。
道は海岸沿いに出来ており、右にかもめの飛ぶ姿を見ながら、
同じような景色をずっと堪能していた。
12時34分 えりも岬着
とうとう、日高地方の最南端襟裳岬に到着。
ちょっとそらは曇り気味だが、雨は全く無い。
観光地なためか、思ったより人も来てて、岬一帯はまぁまぁ開けている。
まずは、お土産センターに入った。
昆布、カニの生け簀など、北海の珍味が売ってあって、食堂も何個所かあるようだ。
昼飯時だけあってか、食堂の前ではおばちゃん達が客引きしていたが、
その中の一つに入って、今日だけは特別とばかりにうに丼を注文した。
本場のうに丼だぜー、、、といきり立っていたが、思ったよりも量が少なく高い。
やはり、観光地のせいであろうか。
これだったら、実家の玄界灘で採れたうにの方が安くて美味いと感じた。
何はともあれ、次は外に出て岬の方へ。
さすが、船の難所と言われるだけあって、やたら風が強い。
そのせいもあってか、体感気温は秋冬並みに感じる。
長袖のトレーナーを着てても、底冷えするくらいであった。
また、いきり立った崖の下の方では、昆布を採っている地元の人たちの姿も見える。
それにしても、日の出と日の入りの両方とも水平線から見ることが出来ると
言われるだけあって、目の前や左右もパノラマのような海。
日高山脈がぎりぎりまで海に突き出している故の、この絶景と言えよう。
景色を堪能した後、「風の博物館」というところに行った。
この博物館は岬の地下に作られ、襟裳岬の海難の歴史や、
そこに住む動物達、強風の体験コーナーなどがあった。
まぁ、特別凄いってほどのところでもないが、
時間があるので入場料を払って入館したという訳だ。
その後は、また外に出て辺りをぶらぶらと、、、
もう一回岬の先端の方へ歩いていったり、
ちょっと脇道を歩いてみたりといった感じだったろうか。
お土産センターでは、熊やアザラシ、トドといった珍しい缶詰や、
帰りのバスでの口慰めに詰め合わせもののキャラメルなどを買った。
そうこうしているうちに、帰りのバスの時間になりそうだったので、
バス停に戻り、広尾行きのバスに乗り込んだ。
14時53分 えりも岬発
バスは今度は日高山脈の東側を北上していった。
切り立った崖を強引に削ったような道をずっと走っていったのだ。
バスのアナウンスによれば、何でも黄金道路というらしく、
同じ大きさの金を敷き詰めたくらいの費用がかかるほどの大工事だったそうだ。
確かに通ってて、いつ崩落事故が起きてもおかしくないと感じるくらい、
ぎりぎりのとこを削って道にしている。
15時55分 広尾バスターミナル着
1時間余りで、バスは終点の広尾へ。
一瞬駅かと見間違うような感じの建物だった。
まぁそれもそのはずで、元々ここには広尾線という国鉄の支線が走っていたのだが、
国鉄の民営化で廃線の波に飲み込まれてしまったと言うわけである。
建物の中には、旧広尾線の写真などの資料が置いてあった。
もう少しじっくりと見ていきたかったが、いかんせん次のバスまで待ち時間が短いため、
そうゆっくりとはしていられなかった。ちょっと心残りである。
トイレに入ってたら、バスが発車する音がしたので、慌ててバスに乗り込んでいった。
16時11分 広尾バスターミナル発
次は帯広行きのバスである。
広尾はちょっとした町だったが、少し離れるとあっという間に何も無い田舎になった。
とはいえ、のどかな牧場の風景を堪能することが出来て、まさに北海道に来たという感じである。
広尾からは高校生などが結構乗っては来たのだが、次々と降りていって
何時の間にか車内は私一人だけという状態になってしまった。
途中、中札内というところで時間を合わせるためか、かなり止まって、
しかも運転手さんが外でたばこを吸いながら寛いでいるといった場面もあったが、
バスは一路帯広へと向かっていく。
帯広に近づくに連れて、また乗客が乗り込んでくるようになった。
18時10分 帯広駅前着
帯広駅も予想してた以上に大きな駅であった。
しかも、新築したのか、かなり奇麗で近代的な感じである。
時間があったので、まずは駅ビル内の探索。
上に本屋があったので、そこでうろちょろしていると、北海道時刻表なるものを発見。
電車だけでなく、バスの時刻表まで載ってある。
北海道じゃ、バスが一日数便しか通らないところも少なくないので、
バスの時刻表は必須だとかねがね思っていたので、
これはしめたとばかりにその時刻表を購入した。
後々の旅にこの時刻表が非常に役に立ったのは言うまでもない。
それでも時間が余っていたが、行く宛も無いので、待合室で時間をつぶす、、、
TVでは襟裳岬に来たライダーに交通安全を願う旗を配ってるという
ニュースをやっていた。そんな場面は見なかったのだが、、、
さてさて、釧路行きの電車の発車時刻まで、まだまだ鬼のように時間が余っている。
ずっとここに居ても飽き飽きしてきそうなので、
その前の池田行きの電車に乗って、池田町に行ってみることにした。
19時15分 帯広駅発
帰宅時刻だけあって、電車はかなり込んでいる。
特に、学生が多いようだった。
19時48分 池田駅着
ちほく高原鉄道の出発駅として、またワインの産地として知られる池田町にやってきた。
駅舎は奇麗だが小さくて、駅前に噴水があるだけだ。
駅前をぶらぶらしたが、レンタルビデオ屋とかを除けば、大体どこのお店も閉まっている。
どこか夕食をとれるところはないかと探していたら、
一件、開いてるお店を見つけたので、そこで夕食をとることにした。
確か食べたのは野菜丼だったか、、、安かったのでそれにしたのだろう。
それから、地図を見ながら色々と歩き回るが、
道も人通りが殆ど無く、時々車が通るだけという寂しい感じであった。
結構長い時間居たはずなのだが、これといって印象に残るようなことは無かったように思える。
あと、宿泊先が決まってなかったので、ガイドブックを見て、
釧路のYHに電話をかけてみた。ところが、今日はもう満室との事、、、、
で、結局善後策も無いまま、電車に乗って釧路まで行くことにした。
駅舎を開けててくれるといいんだけど、、、、
21時49分 池田駅発
電車は釧路を目指して、暗闇の中、東へとゆっくり走って行く。
さすがにこの時間だけあって、乗客は殆ど居ない。
北海道は夜が早いだけに尚更だろう。
23時59分 釧路駅着
電車に揺られること2時間以上、ようやく終点の釧路に到着した。
しかし、まだどこに泊まるかを考えていない。
駅舎を開けててくれれば、何とか夜をしのげると思っていたのだが、その考えは甘かった。
駅をうろちょろしてたら、もう閉めるからということで、すぐさま追い出されてしまったのだ。
さすがにこれには参ってしまい、どうしようか困ってしまった。
でもまぁ、雨も降ってないことだし、ちょっと寒いけど野宿すっか。
一応、今朝言われた通り実家に電話を入れた。
ただ、母にはYHに泊まるということにして、野宿することは内緒にしたが。
また、この時母親から「北海道フリー切符」というものがあるということを教えてもらった。
何でも、7日間北海道内の特急が乗り放題で、23000円くらいだというのだ。
一日に換算しても、3000円程度。青春18が1日2000円程度だから、
特急に乗り放題ということを考えると、そんなに高いというわけでもない。
そして何よりも私の心を引いたのが、ここ北海道には札幌から釧路、稚内、網走、函館へと、
夜行が走っているということだった。(但し函館にはミッドナイトなる夜行快速があるのだが)
つまり、このフリー切符を使えば、野宿しなくても電車の中で夜をしのげるのである。
宿泊について悩んでいた私にとって、この切符はまさに助け船であった。
もし、この切符の存在を知らず、北海道内を青春18だけで回ろうとしたら、
大変なことになっていたかもしれない。
何はともあれ、その日は野宿しか手はない。
まぁ、1万くらい出せば駅前のホテルに泊まることくらいは出来ただろうが、
ケチな私は迷わず野宿の方を選んだ。
とは言っても寒くてそうそう寝られるもんじゃない。
しかも、海が近いせいか風も強い。
結局、駅前を宛も無く歩くことにした。
駅前のお店は殆ど閉まっていたが、その中に私の目を引いたお店があった。
とんこつラーメンのお店「海皇(ハイファン)」である。
雑誌の切り抜きが貼っていて、ここの辺りじゃ人気のあるお店のようだ。
釧路で豚骨ラーメンってのも乙なもんだなぁ、、、これは絶対行かねば。
その時私はそう心に誓ったのだった。
それから、街の大通りをちょっと行ったところに
ゲーセンが開いていたので、そこに入ることにした。
やっぱ、店の中は暖かい。このまま夜明けまで開けてくれないかな、と期待したが、
1時になったら、あっさりと閉められてしまった。
その後、歩いて幣舞橋(ぬさまいばし)へ。
釧路のシンボルとも言える、有名な橋だ。
昔、釧路で大きな地震があったときに、NHKがずっとここを中継していたのを覚えていた。
しかし、こんな時間に橋を見に来る人が他にいるわけもなく、一人寂しく川を見るだけだった。
それにしても、寒い。こんなんじゃ寝れるはずが無い。
そうだ、酒だ。酒があれば、体も暖まるし寝ることも出来ようもの。
どこか酒を売ってるコンビニでも無いかなと、探してみることにした。
そして、結構歩いたが、ようやく酒を売ってるコンビニを見つけることが出来た。
そこで、体の温もりそうな酒を購入して、駅の方に戻ることにした。
とは言っても、駅は開いてないので、どこか別の場所を探すしかない。
幸い、駅前のデパートの入り口のところに、風を避けられそうなく窪みがあったので、
そこに座り込んで酒を飲むことにした。
しかし、デパートの真ん前に座り込んで酒を飲むなんて、昼間じゃ絶対出来ないだろう。
結局、酒を飲んで酔うには酔ったものの、あんまり寝ることは出来なかった。
しかし、起きてても時間は過ぎるもの。
次第に夜も白み始め、駅の待合室も開いたので、そっちの方へと移動した。