全国ラーメン文化学

北は北海道から、南は九州、沖縄まで、日本各地で色々なラーメン文化(中華麺文化)が根付いています。ここでは、全国の各地方でラーメン文化がどのように異なるかを考察してみました。まずは、ご当地ラーメンの特徴やその歴史を述べて、最後に全国的な傾向について私見を述べるといった感じです。なお、これはあくまで私個人が全国的に食べ歩いて感じたこと、および未食の地域に関しては本などによる知識を借用して書いたものですので、正確さを欠いたり誤解をしてたりすることもあるでしょうが、その旨ご容赦ください。(メール等で一報下さりますと幸いです。)
  
まずは、ご当地ラーメンから。ちなみに、ここでは以下のようにご当地ラーメンの知名度およびラーメン文化の文化的度合を以下のようにランク付けしてあります。このランク付けも私個人の感覚によるものですので、ご承知おきください。 (2003年作成)

 追加予定地 : 水戸(スタミナ)、浦和(スタミナ)、高井田、岐阜・一宮(ベトコン)、須崎(鍋焼き)、香川、小田原、長井(馬肉)、新庄(とりもつ)、八戸、恵那市山岡(寒天)、鳥取、下松

S: 日本人なら老若男女を問わず、誰でも知ってる自他共に認めるラーメン処。
A: そんなにラーメン好きでなくても、一般市民レベルで全国的に知られるラーメン処。ただ、場所によっては一般レベルでは知られてないこともあったりする。
B: 全国的な一般市民レベルでは結構知られてなかったりするが、ちょっとラーメンに興味がある人なら大抵知ってるラーメン処。ご当地ラーメンとして地元が誇るラーメン文化を持つ。
C: ラーメンフリークにはご当地ラーメンとして認識されているが、まだあまり一般的には知られていない。「地名+ラーメン」の呼び名でもラーメンフリークは違和感を感じないだろうが、そうでない人には違和感を感じさせるかもしれない。実際、その土地の近くに住む人か、かなりのラーメンマニアじゃないと知らないと思われる。
D: 地名+ラーメンの呼び名はあまり聞かないが、ちゃんとした独特のラーメン文化が存在する所。ご当地ラーメンというにはやや弱いが、ラーメンを食べるために足を運ぶ価値のある土地である。
E: ラーメン文化と呼べるほどのものがあるかどうか、まだ分かっていないが、何かありそうな予感をさせる土地。ラーメン会なる組織が存在する場合もある。

  


***北海道***

北海道のラーメンといえば、札幌が最も有名だが、最近は旭川や函館の知名度も上がっている。特に、味噌は札幌、醤油は旭川、塩は函館という風に3大都市で役割分担が成されているのが面白い。しかし、旭川では味噌ラーメンが食べれなかったり、函館では醤油ラーメンが食べられなかったりということはなく、実際は道内の殆どのラーメン店で味噌、塩、醤油の3つのラーメンが置かれている。また、寒い地方性かラーメンの温度はかなり熱く、量も多い。また、製麺所がラーメン店に暖簾を贈るという習慣があるらしく、多くの店の暖簾に製麺所の名前が記されている。


札幌 (S) 元祖地方ラーメンとでもいうべきであろうか。昭和40年代に札幌ラーメンブームが出来て以来、札幌といえばラーメンと言うくらいで、ほぼ日本全国のあらゆる年齢層の人が札幌ラーメンという言葉に違和感は感じないはずだ。

札幌ラーメンの元祖と呼ぶべき店は二つある。一つは戦前に札幌で初めて支那そばを出した「竹家食堂」である。ラーメンという呼び方のルーツの一説がこの竹家食堂で、当時店で働いていた北大の中国人留学生が注文を受ける際に、「了(ラー)」と中国語で返事してたことに由来するとのこと。もう一つの元祖が「味の三平」。何を隠そう、この「味の三平」の元店主である大宮守人さんこそが札幌味噌ラーメンの父である。味噌ラーメンの誕生秘話には次のような話がある。当時、醤油ラーメンしか出していなかった「味の三平」であったが、ラーメンを頼んだ人には豚汁を無料で提供していたのだ。しかし、お金のなかったある常連客が麺代だけ払うから、タダの豚汁に麺を入れてくれと頼まれ、大宮さんはそれを快く承諾した。すると、その麺入り豚汁はイケルということになり、「味の三平」のメニューに味噌ラーメンが加わったというのだ。この逸話の真否はさておき、「味の三平」から広がった味噌ラーメンは瞬く間に札幌ラーメン=味噌ラーメンの図式を全国的に知らしめた。

その後、すすきのにラーメン横丁が出来たりと、札幌ラーメンは一大ブームを巻き起こしたが、観光ブームに甘えて手を抜く店が増えたせいか、最近は札幌ラーメンにかつての勢いはなく、むしろ旭川ラーメンに押されているという印象すら受ける。しかし一方で、観光客目当ての店とは違う、本当に地元客に愛される真面目なラーメン作りを志すお店が増え、今や地元支持の第2次ラーメンブームが来ているという。かつての札幌ラーメンの良いところを残しつつ、更に美味しさを極めようとしている店が地元客の人気を集めているようだ。

麺は西川製麺が圧倒的に有名だが、小林製麺や森住製麺、一柳製麺なども知られる。かん水を多く使った黄色い縮れ麺が用いられ、加水率も高くプリプリしてるのも特徴。太もやしと豚ミンチが札幌ラーメンの具の王道で、中華鍋に野菜を入れて炒めて、そこにスープと麺を入れて湯がいてそのまま丼に入れるという作り方がメジャー。

代表店:味の三平、龍鳳、純連、ひぐま、糸末、爐、縁屋

旭川 (A) かつて札幌ラーメンの影にかくれて、なかなか日の目を見ることが無かった旭川ラーメンだが、実はその歴史は古い。札幌ラーメン創生期の名店、味の三平、龍鳳の主人が実は旭川でラーメン作りを覚えたといえば、旭川ラーメンの歴史の深さが分かるというものであろう。味噌の札幌、塩の函館に対し、醤油の旭川と言われるくらい、醤油ラーメンで有名な土地で、メニューも醤油ラーメンを最初に書いてるお店が多い。また、スープは魚出汁を用いてる店が多く、旭川ラーメンの草分け的な「蜂屋」と「青葉」の二件もその例に漏れない。一方で、「天金」のように魚を使わない店もあったり、「味乃やまびこ」や「山頭火」のような白濁豚骨スープを用いてる店も多いため、旭川ラーメンと一くくりに言っても、特徴は様々である。また、麺は札幌とは対照的な加水率の低いボソボソしたものがよく使われる。特に藤原製麺と加藤製麺が有名。

代表店:蜂屋、青葉、天金、味乃やまびこ、山頭火
函館 (B) ご当地ラーメンが塩ラーメンであるのは、おそらくここ函館だけであろう。ただ、塩ラーメンといっても澄んだ清湯系の塩ラーメンと濁った白湯系の塩ラーメンがあり、函館は清湯系の方がメインである。また、北海道では殆どの地域が縮れ麺を使っているのに、ここ函館では何故かストレート麺がよく使われる。最近の新横浜ラーメン博物館の調査で、「養和軒」という店が浅草の「来々軒」よりも以前からラーメンを出していた可能性があるということが分かった。もしかすると、日本のラーメンの元祖は東京や横浜でなく、函館なのかもしれない。

代表店:鳳蘭、マメさん、あじさい、鳳来軒
上川 (C) 層雲峡の入口にある人口一万人にも満たない町が上川町だ。この小さい町には「上川町ラーメン日本一の会」という組織が存在する。しかも、その結成たるや、喜多方ラーメン会よりも早いというから驚きだ。また、上川町ラーメン憲章なるものがあるらしく、
露骨な観光至上主義でなく、各店が味を競い切磋琢磨する旨のことが書かれているというから素晴らしい。実際、大雪山の雪解け水を用いてて、水の美味いところに美味いラーメン有りの言葉を地で行っている。ラーメンの特徴としては、あさひ食堂は味噌ラーメンが有名だったり、愛山渓ドライブインは塩味の清湯スープを用いた舞茸ラーメンが有名だったりと、店によって様々だ。ちなみに、首都圏にも「喜七」や「ピャシリ」といった上川ラーメンの店が存在するが、両店とも上川町ラーメン会会長の「あさひ食堂」の系統のようだ。

代表店:あさひ食堂、ゴードーしばやま、愛山渓ドライブイン
室蘭 (E) 町田の雷文、赤坂のつかもと、経堂のろくあじと、室蘭ラーメンを名乗る店が東京にある。しかし、巷では室蘭ラーメンという言葉は滅多に聞いたことがなく、実際に室蘭がそんなにラーメン処かどうかも分からない。ただ、先に挙げた東京の室蘭ラーメン店3店が影響を受けていて、室蘭のラーメンの代名詞といってもいいかもしれないほど地元で愛され、市外からも多くの人が食べにくる名店がある。それが「なかよし」だ。スープには昆布の旨味をふんだんに出されていて、「なかよし」のラーメンを食べるためだけにでも、わざわざ室蘭に行く甲斐があろう。

代表店:なかよし、味の大王
釧路 (E) 細めの縮れ麺に醤油味の清湯スープ、そう東京ラーメンに似た特徴を持つのが、ここ釧路のラーメンである。同じ醤油ラーメン処の旭川と比べても、かなりあっさりとしているから、北海道というのは面白い。しかし一方で、「海皇(ハイファン)」のような九州系豚骨も台頭しているのも事実だ。一説によると、海側は魚食文化なので煮干しなどを出汁に用いた醤油ラーメンが盛んなのに対し、内陸は肉食文化なので豚骨ラーメンが流行る、だそう。しかし、本当にそれが正しいのかは定かではない。

代表店:銀水、ミハラ、河むら、海皇(ハイファン)
稚内 (E) 日本最北の市として知られるのがこの稚内である。稚内がラーメン処であるかどうかは不明だが、道北でよく目にするフレーズとして「北に行くほどラーメンは美味くなる」というのがある。その法則で言うと、ここ稚内が日本で一番ラーメンの美味い土地ということになるのだろうか。実際は、澄んだ塩ラーメンを出す店が有名で、もしかすると函館に次ぐ塩ラーメン処なのかもしれない。

代表店:ランチョン、青い鳥、たから屋

 

*** 東北 ***

東北と一概に言っても、北は青森から南は福島までその範囲は広い。しかし、殆どの店が縮れ麺に醤油味の清湯スープというパターンで、仙台と赤湯に味噌文化がやや見られるのみだ。といっても、ラーメン処はかなり多く、山形なんかは私の知る限り4カ所もラーメン処が存在する。


津軽 (D) 津軽ラーメンという言葉を耳にしたことはあるが、実際に津軽ラーメンという言葉が一般的に使われているかどうかは不明である。しかし、青森や弘前を中心とする津軽地方のラーメンにははっきりとした特徴がある。それは、強烈な煮干し出汁のスープを用いているということだ。実際、かなりのラーメン店が、スープに煮干しを用いていて、これは東北の他の地方ではあまり見られない特徴である。その典型が青森市の丸海ラーメンと弘前市のたかはし中華そば店で、この2店では典型的な青森の中華そばを食べさせてくれる。ただ、他の地方から来た人にとっては、九州ラーメンの豚骨臭さに負けず劣らずの煮干し臭さに、ちょっと敬遠してしまうかもしれない。しかし、慣れたらクセになること請け合いである。

代表店:丸海ラーメン、くどうラーメン、たかはし中華そば店(弘前)、緑屋(弘前)
盛岡 (E)

(冷麺:A)
(じゃじゃ麺:C)

盛岡のラーメン屋といえば、「中河」が一番有名だと思われる。ここのラーメンはアッサリとしたとても上品な醤油味である。しかし、盛岡の麺類といえば、やはりわんこそばと盛岡冷麺とじゃじゃ麺であろう。わんこそばはラーメンの枠には入らないのが普通なので、ここでは触れないが、盛岡冷麺とじゃじゃ麺は意見の分かれるところではなかろうか。ちなみに、盛岡冷麺の元祖は「食道園」で、店の看板に平壌冷麺と記されていることから、韓国というよりはむしろ北朝鮮から来た食文化と言えるかもしれない。また、じゃじゃ麺といえば、圧倒的に有名なのが「白龍(パイロン)」。当然、じゃじゃ麺自体も美味しいが、麺を食べ終わり肉味噌が残った皿に、生卵とだし汁を入れて食べるチータンも、これまた逸品。

代表店:中河、日光軒、白龍(じゃじゃめん)、食道園(冷麺)
十文字 (C) 秋田県民の殆んどがその存在を知っているのに、県外者は殆んど知らないという不思議なラーメン処がこの十文字である。実際、十文字ラーメンという言葉としても、秋田県内では普通に使われている。場所は県南部。人口一万五千人程度の本当に小さな町である。この地で戦前から中華そば文化が息づいていたというから驚きだ。十文字ラーメンの元祖は「マルタマ食堂」と言われる。これに「三角そば屋」と「丸竹食堂」を足した3店がほぼ十文字ラーメンの全てと言っても良いかもしれない。麺がかなり特徴的で、細くてかなりゴツイ縮れ方をしている多加水麺。スープは透き通るほどあっさり。また、お麸が乗るのも他にはない特徴。

代表店:マルタマ食堂、三角そば屋、丸竹食堂
仙台 (D) 仙台は独自のラーメン文化を持つ都市という訳ではない。しかし、仙台味噌を使った味噌ラーメンを売りにしてる店が多いという特徴がある。もしかすると、札幌に次ぐ味噌ラーメン処なのかもしれない。また、市の繁華街である国分町は東北随一のラーメン激戦区で、どこを見てもラーメン屋と言わんばかりに多くのラーメン店が軒を連ねて味を競いあっている。

代表店:味よし、五福星、天下一品こむらさき
喜多方 (A) 元祖町起こしラーメンがここ喜多方である。人口4万人弱の町に120件以上のラーメン屋が軒を連ねるという、人口当たりのラーメン屋数日本一の市である。喜多方老麺会(喜多方ではラーメンを漢字で老麺と書く)が発足し、県外にアピールした結果、見事に成功し、札幌、東京、博多に次ぐラーメン処として有名になったのは記憶に新しい。しかし、その歴史は意外に古く、大正末期に潘欽星氏が「源来軒」というお店を始めたのが、喜多方ラーメンの始まりだと言われる。喜多方ラーメンの特徴としてまず麺が挙げられる。太さは極太。しかも飯豊山の雪解け水で打ったその麺は、加水率がかなり高くうどんのようにむっちりしている。まさに水の美味い土地に美味いラーメンありということだ。また、朝早くから開けるお店が多いのも特徴的。喜多方といえば東日本では誰もが知るラーメン処だが、西日本では意外に認知度が低かったりする。

代表店:源来軒、坂内食堂、まこと食堂、大安食堂、あべ食堂
白河 (B) 白河といえば白河の関や南湖で有名な東北地方南端の都市である。ここ白河も、人口比に対して、かなり多くのラーメン店が軒を連ねている。白河ラーメンの産みの親が「とら食堂」初代店主、竹井寅次氏。白河市内の殆どの店が、かならずこの「とら食堂」の影響を受けていて、実際、白河ラーメンといえば「とら食堂」のラーメンと言い換えても過言ではないくらい「とら食堂」の影響力が大きい。特徴といえば、手打ちの麺にやや茶色味の強いアッサリ醤油味のスープ。また、具はナルト、三角海苔、ほうれん草といったところで、チャーシューは縁取りを赤くしている店が多い。これらの特徴は、かつての古き東京ラーメンの面影をよく残しているといってもよいだろう。

代表店:とら食堂、いまの家、火風鼎、すずき食堂
山形 (D) 山形ラーメンという言葉はあまり聞かないが、冷やしラーメンと言えば耳にした人も多いだろう。冷やし中華とは全く違った和風ダシの冷たいスープに普通にチャーシューなどの具を乗せたまさに冷したラーメンである。この冷やしラーメンの発祥の地が山形である。何故、この寒い東北の地で冷やしラーメンが始まったのかと思う人も多いかもしれないが、山形市といえば、記録至上最高温度の40.8度を出したところでもあり、夏の暑さはかなりのものなのだ。ちなみに、冷やしラーメンを開発したのが「栄屋本店」というお店で、日本蕎麦も出している。というより、山形では中華そばと日本蕎麦を一緒に出している店がかなり多いのだ。また、冬でも冷やしラーメンを出してる店が結構あったりする。

代表店:栄屋本店、栄屋分店、山長
米沢 (C) 喜多方に続けとばかりに、ラーメン会を発足させ、ラーメン処をアピールしているのが上杉藩のお膝元として知られる米沢だ。実際、米沢ラーメンという言葉も、東日本では結構聞くようになった。特徴というと、これといって挙げるものが無くて困ってしまうのだが、敢えて挙げるとすると、やや細めの多加水縮れ麺に透き通ったアッサリ醤油味といったところか。

代表店:ひらま、熊文、桂町さっぽろ
赤湯 (D) 赤湯といえば温泉が有名であるが、それと同じくらいに有名なのが「龍上海」の辛味噌ラーメンである。赤湯ラーメン=「龍上海」のラーメン。この等式は伊達じゃなく、実際に赤湯ラーメンという言葉が「龍上海」の登録商標になっているのだ。「龍上海」の影響を受けたと思われる辛味噌ラーメンの店もこの辺りには結構存在するが、歴史的にも味的にも、龍上海に比肩する店は無いだろう。

代表店:龍上海、醤醤ラーメン
酒田 (C) 酒田ラーメンの特徴は何と言っても、手打ちの麺にある。市内のラーメン屋70%以上が麺を手打ちで作っているというのだから、驚きである。この割合は恐らく日本一であろう。佐野の青竹打ちに対し、酒田では鉄の棒を使って麺を打つのが主流である。なお、地元のラーメン会では「酒田ラーメン」とは呼ばずに「酒田のラーメン」と呼んでいるところに謙虚さを感じる。

代表店:三日月軒、満月、新月、味龍

 

 

*** 関東 ***

関東といえば、大都市東京を要し、日本の人口の多くが集中している地方である。よって、当然のごとく、様々なラーメン文化が入り乱れているのだ。しかし、様々な説があるとはいえ、やはりラーメン発祥の地はここ関東であると言って差し支えないだろう。今でも、横浜の元町地区には、その頃の面影を残すラーメン店(というよりは中華料理店)がひっそりと残っている。


東京 (S) 東京のラーメンと東京ラーメンは同じではない。東京ラーメンと言えば、澄んだ醤油味のスープに中太のやや縮れた麺で、具はチャーシュー、メンマ、法蓮草にナルト。まさに(東京の人間に言わせれば)王道である。

しかし、東京は言わずと知れた日本の首都。日本全国から色々な文化が集まる文化のるつぼなのだ。それはラーメンにも反映されていて、北は北海道から南は九州、果ては沖縄そばまで全国のラーメンがこの地で食べられるのである。東京ラーメンといえば、先にも述べた通りで、具体的には荻窪の「春木屋」、浅草の「来集軒」、銀座の「萬福」、目黒の「勝丸」等等挙げればきりが無い。東京に始めて支那そばを出したのは、今は無き浅草の「来々軒」。ラーメン屋や中華屋の名前に来々軒という屋号がよく使われるが、その元祖である。その他、「ホープ軒」に始まった背油チャッチャ系、がんこ系、こうや系、香月系、二郎系などなど、東京ラーメンとは言わないが東京発祥で独自要素をもつ系統のラーメンがたくさんある。また「池袋大勝軒」のご主人、山岸一雄氏が考案して、今や東京のラーメン屋のおなじみメニューでもあるつけ麺も忘れてはなるまい。

代表店:春木屋、丸福、勝丸、来集軒、萬福、光江、大勝軒、ホープ軒、さぶちゃん、etc...

武蔵野 (D) 

(油そば)
多摩、武蔵野といえば、一般的に東京の西側にある市町村部を指す。この地方が油そば発祥の地ということは、意外に知られていない。関東以外の人は聞いたことすらないかもしれないが、油そばとは、味付けのされた油とたれを丼の下に垂らし、その上の麺だけを乗せる、謂わばスープの無いラーメンである。これを初めてメニューに出したのが武蔵野市の珍珍亭で、ひっそりと多摩地方に広がっていった。(立川市の「三幸」を元祖とする説もある。)最近になってその存在がクローズアップされ、都心部でも油そばを食べさせてくれる店が増えたが、やはり何といっても、油そばのメッカは武蔵野地方であることは言うまでもない。

代表店:珍々亭、宝華、三幸
八王子 (D) 東京の西の果てに位置し、甲州街道の要所としても知られる八王子。実はここにも八王子系とよばれる独特のラーメン文化が存在する。一見普通の醤油ラーメンだが、味はやや濃い目で、しかも具に葱ではなく玉葱が入っているのだ。八王子で初めてラーメンに玉葱を入れたのは「初富士」というお店であることは、意外に知られていない。実際、「初富士」よりも「みんみんラーメン」や「星の家」などの方が有名だったりする。

代表店:初富士、みんみんラーメン、星の家、武富屋
横浜 (C) 横浜と言えば、中華街。初めて日本にラーメンが伝わったのも中華街と言われるが、実際のところ定かではない。横浜のラーメンは中華街に端を発するあっさり系の醤油味がメインだった。20年くらい前までは...。

しかし、今横浜ラーメンといえば、豚骨醤油のこってりスープに法蓮草と四角い海苔が3枚。そう、俗に言う家系ラーメンである。家系ラーメンの元祖といえば、言わずと知れた「吉村家」。この「吉村家」から弟子、孫弟子へと派生した店は、今や数え切れない程。ちなみに、今や市民権を得たこの「家系」という呼び名は、家系の多くの店が「○○家」という屋号を持つことに由来しているのだが、実はこの言葉、元々ネット上で派生した言葉で、限られた人にしか使われていなかった言葉なのだ。ところが、インターネットの普及により急速にその呼び名が広がり、今や元祖の「吉村家」が「家系総本山」と看板に書くにまでなった。

代表店:吉村家、六角家、近藤家、介一家、玉泉亭、唐桃軒、奇珍楼

竹岡 (D) 竹岡とは千葉県富津市の一地方である。普通のラーメンのスープはタレをダシで割るのが普通だが、ここ竹岡では何とチャーシューを似た醤油ダレをお湯で割るだけの「竹岡式」とよばれるラーメン文化が存在する。また、麺も特徴的で、多くの竹岡式の店では乾麺という独特の麺が使われている。この竹岡式の発祥とされるのが「梅の家」で、竹岡式の店の多くがこの店の影響を受けている。

代表店:梅の家、富士屋
上福岡 (E) 上福岡はゴボウの名産地で、これをアピールするために上福岡市中華料理組合が平成6年に始めたのが、「キンピララーメン」だ。現在、組合に加入している半数近くの店で食べることができるとのこと。県の産業祭などでも積極的に売り出しているようだ。

代表店:福満、珍華、幸楽
水戸 (E) 日本で初めてラーメンを食べたとされるのが、かの水戸光圀であるというのは、もっぱらの通説だ。このことの真否は定かではないが、これにちなんで、地元の水戸市では「水戸藩ラーメン会」なる組織を結成し、ラーメンによる町興しをしている。
佐野 (B) 北関東のラーメン処といって真っ先にその名が挙がるのが栃木県佐野市。この町も喜多方と同様、人口に対するラーメン屋の割合が異常に高い。

佐野ラーメンの特徴として挙げられるのが、何といっても人の手による青竹打ちの麺だ。全国の多くのラーメン処ではスープの方に力を入れているが、ここ佐野においては全く逆で、各店とも麺に対してかなりの比重を置いている。麺はかなり太めでしかも手打ちだけあって、太さに相当のばらつきがある。しかもかなり柔らかいのだが、これがちゅるちゅるとした歯応えで美味しい。逆にスープは普通のあっさり醤油味で、特徴に欠けるものがある。ちなみに、青竹打ちを佐野で広めた佐野ラーメンの元祖ともいうべき店が宝来軒である。

代表店:宝来軒、とかの、太七、おやじの店、岡崎麺

栃木 (E) 栃木県栃木市では「夕顔ラーメン会」なる組織が存在し、ラーメンによる町興しをしている。
葛生 (E) 栃木県葛生町には「くずう原人ラーメン会」なる組織が存在し、ラーメンによる町興しをしている。
足利 (E) 栃木県足利市では「足利尊氏らーめん会」なる組織が存在し、ラーメンによる町興しをしている。
藤岡 (C) 藤岡も上州藤岡ラーメン会を発足させて、ラーメンで町興しをしている市の一つだ。藤岡ラーメンの特徴として、太めの手打ち麺が挙げられる。有名なのは藤岡ラーメン会会長の店「宮口軒」。他に初代会長の店「むらちゃん」などがある。

代表店:宮口軒、むらちゃん、風の子、一番

 

*** 甲信越 ***

甲信越地方にはその名をとって○○ラーメンという呼び名をするような都市はない。しかし、独特のラーメン文化が根付いている土地もあり、あなどれないところだ。


新潟 (D) 新潟と言えば隠れたラーメン処である。「中華のカトウ」や「おもだかや」といったあっさり系のスープを出すところもあれば、「福来亭」や「坑州飯店」などのように煮干し出汁の醤油味のスープに背油をたっぷりかけたこってり系のお店に分かれる。とくに後者の方は、燕三条系とも言われる新潟特有のラーメン文化で、その元祖は燕市の「福来亭」と言われている。

代表店:中華のカトウ、おもだかや、青島食堂(長岡)、福来亭(燕)、坑州飯店(燕)、中華亭
中野 (E) 長野県中野市に「信州中野ラーメン会」という組織が存在する。その組織が定めた信州中野ラーメンとは、スープが信州糀味噌に甘酒の甘味をミックス化したもの(醤油、味噌、塩に次ぐ第4の味だそうだ)で、具は「えのきだけ」や「ほんしめじ」 「なめこ」など、地元の新鮮な具をたっぷり使用したものらしい。ちなみに、 中野市は「えのきだけ」生産が日本一だそうだ。

代表店:晴見食堂、よしの食堂
伊那 (D)

(ローメン)

長野県南部に位置する伊那市。ここでは、ラーメンならぬローメンという食べ物が有名だ。ローメンとは、蒸した麺にマトン又は豚肉、キャベツなどを混ぜ合わせて調理した食べ物で、スープ風のものとやきそば風のものがある。ここ伊那では、「伊那ローメンズクラブ」なる組織が存在し、「伊那ローメン」という名前で特産品としても売り出している。有名な店は伊那ローメン元祖の店といわれる「萬里」。

代表店:萬里

 

*** 東海 ***

東海。関東から関西への通り道といった印象が拭えないこの土地だけあって、ラーメン文化もどっちつかずといった感じである。しかし、この東海地区で異彩を放っているのが飛騨高山。ただ、飛騨を東海に入れるかどうかは問題だが。


名古屋 (D) 関東ではあまり聞かないかもしれないが、関西にまで勢力を伸ばしつつある名古屋発のラーメン文化がある。それは台湾ラーメンだ。台湾ラーメンといっても、台湾が発祥のラーメンではなく、名古屋は今池の「味仙」というお店が考案したものである。実際、名古屋の多くのラーメン店でこの台湾ラーメンというメニューが見られる。

一方で、もう一つの名古屋発のラーメン文化として「スガキヤ」の存在も忘れてはなるまい。殆どの名古屋人は、青春時代を「スガキヤ」と共にすごしているのだ。その他、「満珍軒」の溶き卵ラーメンや「呑助飯店」の重油ラーメンも、文化的に広がっている訳ではないが、ここ名古屋にしかないラーメンである。

代表店:味仙、スガキヤ、呑助飯店、満珍軒、好来
高山 (A) 高山といえば、飛騨中華としてしられる独特の中華そば文化がある。高山で普通にそばと言えば、日本蕎麦ではなく中華そばを意味するくらい、地元に中華そば文化が根付いているのだ。ちなみに、飛騨中華の元祖とされるのが「まさご」。今だに行楽シーズンは行列が出来る名店である。麺は加水率の低い細めの縮れ麺。また、スープは殆んどの店が鰹出汁を用いていて、アッサリとした和風の醤油味に仕上げている。

代表店:まさご、やよいそば、豆天狗、角や

 

*** 北陸 ***

北陸3県といえば、福井、石川、富山である。この3県にはここというラーメン処は無い(見つかっていない?)。しかし、この3県に多数のチェーン展開をしている、地方密着型のチェーン店がある。その名は「8番ラーメン」。ラーメンチェーン店なのに、東証株式市場に上場する強者だ。ちなみに、8番ラーメンの本店は石川県加賀市にある。


富山 (D) 富山ラーメンという言葉はあまり聞かないものの、富山も有数のラーメン処の一つである。実際、ラーメン屋の数もかなり多く、店のレベルも高い。特徴は、濃口醤油を用いたこってりとした黒っぽい醤油味のスープ。

代表店:末広軒、大喜、まるたかや、九頭龍、十軒房(高岡)
金沢 (E) 「金沢ラーメンバサラ」という白湯スープのお店が東京は六本木に存在する。しかし、金沢のラーメンが白湯スープが多いかというと決してそうではなく、やはり普通の醤油ラーメンが一般的なようだ。有名なお店は多いものの、ラーメン文化が存在するかどうかはまだ分からないといったところだ。

代表店:一喜、平和軒、ラーメンハウスケン
羽咋 (E) 石川県の能登半島に位置する羽咋市は、UFOが発見されたことで知られる町で、しかもUFOラーメンなる町興しラーメンが存在するらしい。さすがにこれはラーメン文化とは言えないが、一度くらいは食べてみたい気もする。
敦賀 (E) 敦賀ラーメンなる呼び名はいまだ聞いたことはない。しかし、ここ敦賀を発信地とし、福井県内に多大な影響を及ぼしてきた店がある。それが「一力」だ。豚骨と鶏がらを煮出し、醤油で味付けしたスープと、頭にちょこんと乗った紅生姜が特徴的。ちなみに、敦賀市内の8号線沿いには屋台がずらりと立ち並んでいるが、それらの店のラーメンも「一力」の影響を受けたものが多い。

代表店:一力、味一番

 

*** 関西 ***

関西といえば、何に対しても、人々の心の中に関東に負けじという心意気がある。しかし、ことさらラーメンに関しては、関東に遅れを取っている感があった。ところが、最近の和歌山ラーメンブームで和歌山のラーメン文化が、急に一般レベルにまで認知されるようになり、また京都のラーメン文化も少しずつ全国的に知られるようになってきた。関西全般の特徴としてまず挙げられるのが、麺が中細〜中太のストレート麺ということだ。あと、キムチやニラを入れ放題の店も、大阪を中心として関西に広まっている。唐辛子系の調味料が多いのも関東には無い特徴か。


京都 (B) 京都ラーメンと聞くと、あっさりした和風ダシの京風ラーメンを思いだす人も多いだろうが、実際の京都ラーメンは京風ラーメンとは全然異なるものである。詳しくは、本HPの「京都ラーメン学会」のコーナーを参照されたし。

代表店:新福菜館、第一旭、ますたに、天下一品
和歌山 (A) 和歌山といえば、つい数年前まではマニアしか知らない隠れたラーメン処だったのに、最近急に有名になってきた。和歌山ラーメンの元祖と言われるのは「丸高」。和歌山にはこの「丸高」を中心とする車庫前系と、「井手商店」を中心とする井手系の二つの派閥に分かれる。前者は比較的澄んだ醤油味なのに対し、後者は白濁した豚骨醤油味である。ちなみに、この井出系と車庫前系という呼び名は、新横浜ラーメン博物館の命名によるもの。麺は中太でかなり柔らかめ。具にナルトではなくかまぼこが乗るのも和歌山流。あと、殆んどの店で早寿司が置いてある。

代表店:丸高、井出商店、山為食堂、丸繁、丸京
大阪 (D) かつての大阪のラーメンは、うどんダシの影響か、かなりアッサリした醤油味が多かった。ところが、ここ数年の間に多くの店で豚骨ラーメンが流行りだしてきた。とはいっても、やはりそこはアッサリ好きの大阪人。九州のものとはだいぶ異なり、かなりライトなものである。しかも、決まってキムチやニラが入れ放題なのだ。このスタイルは難波の金龍から伝わったとも三宮の麺蔵から伝わったともされるが、真相は定かではない。

いずれにせよ、たこ焼き、お好み焼き、うどん、焼き肉などなど、挙げればキリがないほど大阪といえばグルメの街、食い倒れの街なのだが、ことさらラーメンに関しては、一般的な評価も低く、寂しい限りである。しかし、裏を返せばこれから新しい文化がどんどん入るだけの余地を残した地域でもあるし、実際ここ最近になって、このラーメン不毛の地にも志の高い店が出店するようになってきた。今後、見守って行きたい土地の一つである。

代表店:青葉、揚子江、金龍、神座、藤平、らいよはうす
神戸 (D) 神戸といえば、横浜と並ぶ港町で、昔から外国人が多く住んでいた。特に元町は、横浜に並ぶ中華街である。よって、神戸の老舗のラーメン店には中華料理の影響を直に受けているものが多く見受けられる。一方、最近では「第一旭」のような神戸ラーメンという名前を名乗る店もあったり、「もっこす」のような醤油味の利いた豚骨スープを出してる店もあったりと、様々な様相を呈しているといった感じだ。

代表店:四宮軒、豆市、淡水軒、神戸ラーメン第一旭、もっこす、麺蔵
天理 (C) 和歌山ラーメンが台頭する前まで、関西のご当地ラーメンの代表格だったのが実は天理ラーメンだ。関東ではあまり知られてないが、関西では天理ラーメンと聞けば誰でも知っているほど有名である。ただ、ご当地ラーメンと言うよりはご当店ラーメンといった方が正確かもしれない。というのも、天理ラーメン=「彩華」のラーメンだからだ。特徴は、豆板醤で辛くしあげたニンニクたっぷりのスープに、白菜やニラなどの野菜がたくさん乗る。麺はやや柔め。

代表店:彩華、天理スタミナラーメン
播州 (C) 最近雑誌等で紹介され、密かに脚光を浴び始めているのがこの播州ラーメンだ。ただし、播州ラーメンといっても、播磨国全体というよりは西脇、小野、滝野周辺に限定されているようだ。特徴として挙げられるのは何といっても甘いスープ。また、関西にしては珍しく麺が少し縮れているというのも特徴的だ。西脇市などでは市を挙げて播州ラーメンを有名にしようと頑張っている。西脇市の「西脇大橋ラーメン」が有名。

代表店:西脇大橋ラーメン、内橋ラーメン、紫川ラーメン、滝野大橋、らんめん

 

*** 中国 ***

中国地方といえば、ラーメンで一番有名なのは尾道だろう。しかし、広島、岡山、宇部など隠れたラーメン処も存在する。また、安芸国以西は白濁スープ、備後国以東は清湯スープと分かれるのも特徴的。一方、ラーメン暗黒地帯なのが山陰。この地方にラーメン文化が存在するという話はいまだかつて聞いたことがない。


岡山 (D) 岡山市といえば、日本の47の県庁所在地の中で最も人口当たりのラーメン屋が多い市だそうだ。実際、街には意外なほどたくさんのラーメン店がひしめきあっている。それなのに、ラーメン処としてあまり認識されていないのは残念なところだ。現存する店のうち岡山市最古参として知られるのが「浅月」。この店のラーメンは、じっくり煮込んだ豚骨と醤油だれのスープが特徴で、岡山にはこの「浅月」の影響を受けている店がたくさんある。

それから、岡山独特のラーメン文化の一つとして挙げられるのが、ラーメン店なのに何故かカツ丼を置いてる店が多いということだ。しかも、普通の卵とじカツ丼でも名古屋風の味噌カツ丼でもなく、デミグラスソースをかけたデミカツ丼である。このラーメンとデミカツ丼のセットを初めて考え出したとされるのが、2001年3月と、つい最近まで表町に店を出していた「百万元」である。ちなみに、お隣の倉敷市には「百万両」という店と「八万両」という店があるが、「百万元」との関係については不明。

代表店:浅月、富士屋、天神そば、あまいからい、百万両(倉敷)
笠岡 (D) 笠岡市。岡山県の西の端にある人口6万人程度の小さな都市だが、この小さな街に強烈な個性を持つラーメン文化が存在する。それが笠岡鶏そばだ。この笠岡鶏そばの特徴としてまず挙げられるのが、煮豚の代わりに煮鶏を使っているというところである。また、醤油味のスープにも鶏ガラのみが使われ、しかも近隣の尾道や岡山と違い、あっさりとした風味に仕上げられている。この笠岡中華そばの元祖的存在だったのが「斉藤」。しかし、この店は今は閉店してしまって、その味は伝聞によるものしか残されていない。しかし、「坂本」「一久」などの店が今だに笠岡でその味を引き継いでいる。ただ、ラーメン処としては殆んど認知されてない笠岡では、作り手の高齢化と跡継ぎ不足という厳しい現実があるようだ。

代表店:坂本、一久、しだはら、東北
尾道 (A) 尾道と言えば、関西や中国地方に住んでる人なら、誰でも知ってるラーメン処で、尾道ラーメンという言葉にも何ら違和感を感じることはないだろう。しかし、意外に関東を含む東日本では今だ認知度が低く、喜多方とは全く逆の現象である。実際に、関東よりも関西の方が尾道ラーメンの店は遥かに多い。尾道ラーメンの特徴といえば、鶏がらと小魚(いりこ)がベースの澄んだ醤油味のスープに平打ちの細麺。そして、何といっても、スープに振りかけられた豚の脂ミンチである。

尾道ラーメンの元祖として、それだけでなく全国的にも高い知名度と歴史と味を誇る店として知られるのが「朱華園」。また、それに負けないくらいの歴史をもつのが「つたふじ」。この2店が尾道のラーメン文化を引っ張って来たといっても過言ではないだろう。しかし、不思議なことに他の地方でよく食べる尾道ラーメンと違って、この2店は魚系の風味が感じられない。また、有名な製麺所として知られるのが「はせべ製麺」で、関西に進出している尾道ラーメン店の多くがこの製麺所の麺を用いている。

代表店:朱華園、つたふじ、東珍康
広島 (C) 東京を代表とする澄んだ清湯スープ文化圏と九州を代表とする濁った白湯スープ文化圏の分水嶺の一つとされるのが広島県である。実際、同じ広島県でも、旧備後国である東部の尾道、福山などは澄んだ清湯スープが多いのに対し、旧安芸国である西部の広島や呉では濁った白湯スープが多い。

また、広島市といえば広島風お好み焼きがとても有名だが、実はラーメン屋も意外に多く、お好み焼きに負けないだけの食文化を誇っているといっても過言ではないだろう。スープは豚骨がメインで、それに鶏ガラなどを加え、醤油味を加える。まろやかでコクがあるにもかかわらず、結構サラリとしている。また、麺は加水率が低めで中細のストレート。具は、細もやしに青ネギ、メンマが王道。広島ラーメンの典型的なお店が「陽気」「すずめ」「しまい」。一方、異端派としては比較的澄んだ醤油色の濃いスープの「上海総本店」、トロ味を感じさせるほどの超コッテリ味の「八戒」などがある。

代表店:すずめ、陽気、しまい、八戒、上海総本店、仙八来来軒(呉)
宇部 (D) 本州の最も西に位置する山口県で独特のラーメン文化を誇るのが宇部である。九州がすぐそこというだけあって、スープは豚骨をふんだんに用いたこってり味。実際、九州以上にこってりした豚骨ラーメンが食べられる土地かもしれない。しかし、醤油を多めに使っているため、スープの色は茶色味がかかっていて、九州のものとは一線を画している。宇部で最も有名な店はおそらく「一久」であろう。宇部市内に数店舗のチェーン展開をしていて、独特の中国美女キャラと共に、宇部市民で知らない人は居ないほどの有名店である。また、この「一久」の社長が修行したのが「三久」で、こちらも未だに宇部市内で店を構えている。

代表店:一久、三久、はまや、ゆうちゃん

 

*** 四国 ***

四国と言えば、讃岐うどんに代表されるように、一大うどんエリアである。他の麺類が盛んな地方にはラーメン文化は栄えにくいという言葉があるが、実際、香川、愛媛、高知ではラーメン文化というものは聞いたことがない。しかし、四国で唯一異色なラーメン文化が根付いたところがある。それが、ラーメン店の方がうどん屋よりも多い徳島だ。


徳島 (B) ここ徳島は、和歌山と同様、三方を山に囲まれ、もう一方が海というふうにはっきりと区切られたエリアである。このような山や海に囲まれた土地には独特のラーメン文化が生まれるという説があるが、徳島はそれにピッタリ当てはまっている。ちなみに、かつて日本ハムの加工場があり、そこで大量に余った豚骨がこの地にラーメン文化を生んだそうだ。

徳島ラーメンで最も有名な系統が、甘めの茶色っぽい豚骨醤油スープに、醤油で甘辛く煮込んだバラ肉を乗せたもの。「いのたに」や「広東」などの有名店がこれに当たる。また、徳島のラーメン店の多くが生卵を置いているが、世間で言われるほど、徳島人はラーメンに生卵を乗せて食べる訳ではないようだ。

また、これ以外の系統として、小松島を中心とする豚骨白湯系や、黄土色でやや澄んだ醤油味などがある。新横浜ラーメン博物館は、この3つの系統を、黒、白、黄と名付けたが、和歌山の井出系、車庫前系ほどはこれらの言葉は使われていないというのが現状のようである。

代表店:いのたに、広東、土佐、よあけ、岡本中華(小松島市)、三八(鳴門市)

 

*** 九州 ***

九州といえば完全な豚骨ラーメン文化圏である。この分かりやすい方程式のせいか、本州の人達は九州のラーメンを全て九州ラーメンと一くくりにしがちである。しかし、実際は同じ豚骨スープでも、地方によってだいぶ様相が異なる。九州で初めて中華そばを出した店が、昭和12年に久留米は明治通りに屋台を開いた「南京千両」。九州で戦前に中華そばを出していたのが、この「南京千両」と博多の「三馬路」だけだというから、東京や札幌に比べると、九州は中華そば文化では後発地区といえよう。しかし、それが却って、九州独特の豚骨文化を生み出す要因になったのかもしれない。ちなみに、支那そばや中華そばという呼称は、現在の九州のラーメン店では殆どといって良いほど用いられていない。


北九州 (D) 北九州ラーメンなる呼び方は流石に北九州市内で目にしたことは殆ど無いが、北九州に博多と違ったラーメン文化があるのだけは確かだ。替え玉も北九州ではあまり見られないし、麺も博多よりは大分太い。しかも、ラーメン屋の数も結構あり、歴史のある店も少なくない。実は、北九州のラーメンは博多を通り越し久留米の影響を色濃く受けているのだ。実際、小倉には「来々軒」という久留米で白濁豚骨ラーメンを創作した「三九」のご主人がやっている店がある。また、博多では滅多にお目にかかれない久留米ラーメンのお店も北九州には結構たくさんあるのだ。余談になるが、戸畑には戸畑チャンポンなるご当地チャンポンがあるとのこと。こちらも興味がそそられる。

代表店:みんず、来々軒、東洋軒、魁龍、丸和前ラーメン
博多 (S) 日本3大ご当地ラーメンといえば、東京、札幌とここ博多であることは異論の無いところだろう。その特徴は、豚骨スープに具はネギとチャーシューといった簡単なもの。また、麺は極細で、替え玉という麺だけをおかわりする制度も博多ラーメン独特のものだ。

現在の福岡市はかつては二つの市に分かれていた。一つは現在の博多区を中心とする博多市。もう一つが現在の中央区を中心とする福岡市である。実は博多ラーメンも厳密には「博多ラーメン」と「長浜ラーメン」に分けることが出来る。博多ラーメンを語る上で欠かせないのが、かつて箱崎にあった「赤のれん」。この店が九州系白濁豚骨スープの元祖とする説が有力なところである。(久留米は「三九」が元祖とする説もある。)一方、長浜ラーメンはというと、実は博多ラーメンにその端を発している。というのも、かつて魚市場は現在の中央区長浜ではなく博多区大浜にあり、そこで営んでいた店が魚市場の移転と共に、長浜へと移動したからだ。しかし、替え玉や極細麺といった文化は、博多ではなく長浜に始まったものである。なお、両者の特徴として、博多ラーメンの方が長浜ラーメンに比べ、醤油色が強めで、麺もやや平たいものを使ってるというのが挙げられる。しかし、いずれにせよ、博多ラーメンも長浜ラーメンもほぼ一緒くたにされているというのが現状である。

なお、博多初の中華そば店とされるのは、「赤のれん」ではなく、今は無き「三馬路」という店で、「赤のれん」のご主人もこの店の影響を受けているとのこと。この「三馬路」の流れを汲み現在も営業を続けている店として、祇園の「うま馬」がある。

ところで、札幌ラーメンが観光ラーメン化したように、博多ラーメンも観光ラーメン化している印象を最近受ける。札幌ラーメンがその座を旭川ラーメンに脅かされたように、博多ラーメンもその座を久留米ラーメンに脅かされはしまいかと心配なところだ。

代表店:元祖長浜屋、赤のれん節ちゃん、とん吉、一蘭、一風堂
久留米 (B) 久留米ラーメン。「魁龍」のラー博出店で、最近急に有名になった感があるが、福岡県内ではかなり前から一般的に知られていた。しかも、何を隠そう、久留米こそが九州ラーメン発祥の地とされるのだ。時は昭和12年、久留米市内に「南京千両」という屋台が開店したことに九州ラーメンの歴史が始まる。しかも、この「南京千両」は屋台のまま当時の味を残しつつ未だに営業しているのだから驚きだ。

しかしながら、「南京千両」の中華そばのスープは、一般に言う久留米ラーメンのように白濁したものではなく、アッサリと澄んだものであった。一方、現在、九州のラーメンといえば、白く濁った豚骨スープと相場が決まっている。では、この九州系白濁豚骨スープはどのようにして産まれたのだろうか?実は、この豚骨スープもここ久留米が発祥とされる。(一方、博多の「赤のれん」を白濁豚骨の元祖とする説も有力。)その産みの親が、かつて「三九」という店を久留米で構えていた杉野勝見氏。実は、この白濁豚骨スープは偶然の産物で、ある日間違えて煮込みすぎたら、スープが白く濁ってしまい、仕方なくそれを出したところ、これが意外に美味しかった、といういきさつらしい。

しかし、この「三九」の豚骨スープは、比較的アッサリしたものだったようだ。一方、現在、久留米ラーメンの主流となっている「大龍ラーメン」や「大砲ラーメン」などのスープは骨の髄が丼の底に残るほどコッテリとしたもの。特に、「呼び戻し」とよばれる残ったスープにどんどん豚骨を継ぎ足すという手法が、このコッテリとしたスープを生み出すようだ。他の特徴としても、海苔が乗っていたり替え玉が無かったりと、博多とはやや異なる。また、日本初のドライブイン形式のラーメン店とされる「丸星ラーメン」も忘れてはならないところだ。

代表店:大龍ラーメン、大砲ラーメン、丸星ラーメン、南京千両
佐賀 (D) 久留米と並び、九州ラーメンの歴史に欠かせない土地がここ佐賀である。残念ながら、佐賀ラーメンという言葉はあまり耳にしないが、佐賀にも独自のラーメン文化が存在する。ここ佐賀のラーメンを語る上で欠かせないのが「三九軒」と「三九ラーメン」。いずれも、白濁豚骨ラーメン発祥の店とされる、かつて久留米にあったラーメン店「三九」の直系の流れを汲む店だ。また、佐賀市内で一番有名だと思われる「一休軒」も比較的アッサリしたスープである。

このように、佐賀のラーメンは他の地方に比べかなりアッサリしたものが多い。白濁豚骨ラーメン創生期のラーメンに一番近いのが、ここ佐賀のラーメンなのかもしれない。

代表店:一休軒、三九軒、三九ラーメン
長崎 (D)

(チャンポン:A)

長崎といえば、言わずと知れたチャンポン発祥の地。その歴史は九州ラーメンより古く、今や長崎の観光名所と化した感もある「四海楼」で明治32年に産まれた。一方で、長崎のラーメンといえば、あまりパッと思いつかないかもしれない。確かに、チャンポンに比べると、存在感の薄い長崎のラーメンだが、実は意外な特徴がある。それがゴマ油だ。長崎の有名店の多くでは、このゴマ油がスープに振りかけられている。また、スープ自体はアッサリ目のところが多い。

代表店:思案橋ラーメン、三八ラーメン、一休軒、四海楼(チャンポン)
佐世保 (E) 長崎とは違いゴマ油は使わないのが佐世保流。また、アゴ(トビウオ)の名産地である平戸が近いため、アゴでダシを取ったラーメンもある。いずれにせよ、ラーメン文化というほどのものは無いが、距離的に長崎と離れているせいか、あまり長崎の食文化の影響はラーメンに関する限りは強くはない。

代表店:お富さん、大阪屋、アゴダシラーメン
熊本 (A) 博多と並ぶ九州のラーメン処がこの熊本である。スープ自体は博多と同じ豚骨だが、熊本の方が脂が乳化しててミルキーな印象を受ける。また、博多との大きな違いとして、熊本ではニンニクチップかニンニク油(マー油)を入れる店が多い。ちなみに、東京に初めて進出した熊本ラーメンの店がニンニク油を使う「桂花」なため、熊本ラーメンでは多くの店でニンニク油が使われると思われがちだが、ニンニク油を使う店よりはニンニクチップを使っているお店の方が遙かに多いようだ。また、麺も博多に比べると大分太く、当然替え玉も無い。

熊本ラーメンの元祖と言われるのが、かつて玉名市にあった「三九」という店。名前からも分かるように久留米「三九」の流れを汲んでいて、かの有名な「天琴」のご主人も、この玉名「三九」で修行したという。いずれにせよ、久留米から玉名経由で熊本へとラーメン文化が伝わったという説が今のところ有力である。

代表店:黒亭、こむらさき、桂花、味千ラーメン、天琴(玉名市)、好来(人吉市)
宮崎 (C) 首都圏に「日向屋」と「ひょっとこ」が出店したせいか、最近急にその名が使われるようになったのが宮崎ラーメンだ。宮崎ラーメンという言い方が適当かどうかは分からないが、やはり博多や熊本などの中心都市から離れている土地状況上、独特のラーメン文化が存在するようである。

まず、タレに醤油が九州の他の地方よりも多めに使われているという印象が見受けられる。あと、ニンニク醤油と漬け物が大抵の店に置いてあるのも特徴的だ。前者は鹿児島でもよく見られる傾向だが、後者は宮崎以外のところではあまり見ない。また、具にモヤシを用いている店が多く、そこらへんはやはり博多などとは異なるようだ。

また、ここ宮崎では変わった麺を用いた老舗がある。それが、蒸し麺を用いた「鶴乃屋」と甘麺を用いた「こむらさき」だ。これらの麺は、博多の麺と全く逆で相当柔らかい。恐らく、慣れてない人にはかなり奇妙な感触だ。このような特殊な麺が宮崎県内に広まっているのかどうか定かではないが、両店とも支店をいくつか構え、宮崎を代表する店の二つであることは確かだ。

代表店:きむら、あかえ、栄養軒、風来軒、こむらさき、鶴乃屋(都城)
鹿児島 (B) 九州各地のラーメン文化が少なからず久留米の影響を受けているのに対し、唯一その傾向が見られないのがここ鹿児島である。鹿児島ラーメンの元祖と言われるのが、今も市内の堀江町に店を構える「のぼる屋」。初代店主の道岡ツナさんが、戦前に看護婦をしていた際、親切に看護していた中国人コックからラーメンの作り方を教えてもらったのが「のぼる屋」の始まりだそうだ。

鹿児島ラーメンの特徴は、まずスープがアッサリしていること。そして、豚骨オンリーではなく、イリコなど様々な材料がミックスされていることも特筆すべきところだ。また、野菜や揚げネギなど具の量も他の九州地方のラーメンに比べて多い。麺もやや柔らかめで白っぽい低鹹水麺。「こむらさき」のようにビーフン感覚のものもある。また、殆どのラーメン店で漬け物が出されるのも面白い現象だ。

代表店:のぼる屋、こむらさき、くろいわラーメン、ザボンラーメン
沖縄 (B)

(沖縄そば)

沖縄には沖縄そばという独特の麺文化がある。歴史的にもかなり古く、明治時代の後半に中国人が木炭に上澄み液と小麦粉を混合して麺をうち、それをスープに浸して食べたのがその原型らしい。よって、沖縄そばはラーメンではなく別の麺料理とするのが当然なのかも知れないが、中国から伝わった湯麺文化という点では共通しているため、ここで紹介させて頂くことにする。

沖縄そばの特徴として挙げられるのは、まず麺だ。先にも述べたように、本来の沖縄そばは鹹水ではなく灰水で打つのである。ただ、今は衛生的事情から灰水を使う店は少なくなってしまったようだ。また、スープも豚骨と鰹を出汁に用い、味付けは塩がメインという独特の物である。また、チャーシューの代わりにラフティーと言われる沖縄の豚角煮を乗せ、ラフティーのたくさん入ったそばを特にソーキそばと呼んだりする。

ちなみに、沖縄そばにも地方によりいろいろあり、八重山そば、宮古そばなど麺の太さや盛り付け方が異なるそうだ。

代表店:きしもと食堂、首里そば、山原そば、丸安食堂

 

 

日本全体で見た傾向
  

東が縮れ、西がストレートとはっきり分かれる。その分水嶺は関東〜東海の辺りではないかと思われる。実際、関西以西は殆どの地域でストレート麺が用いられているのに対し、東北、北海道は殆どの店で縮れ麺が用いられている。例外的に、高山では縮れ麺が主流なのに対し、函館ではストレート麺が主流である。
スープ まず、味噌ラーメンに関してだが、1970年代に札幌味噌ラーメンが全国的に旋風を巻き起こしたせいか、味噌ラーメンというメニューは北は北海道から南は鹿児島まで、全国至るところで見られる。実際、スープは同じものを使い、タレだけを味噌ダレにすれば良いのだから、店の方にしても味噌ラーメンはメニューに出し易いところだろう。

一方、醤油ラーメンだが、九州方面を除く殆どの地域でスタンダードなラーメンとして出されている。敢えて醤油ラーメンと言わずにラーメンということも。しかし、九州のラーメンも醤油を使わないということは無く、タレに混ぜている店が結構多い。

それから、清湯スープと白湯スープの境目だが、これは諸説ある。広島県の備後と安芸の国境付近という説もある一方で、関ヶ原を越えたら白湯スープ文化圏だとする説もある。実際、和歌山、京都、徳島は広島以東でありながら、白湯スープのお店も少なからず存在するからだ。また、東京にも背脂チャッチャ系という東京独自の白湯ラーメン文化が存在するし、家系のスープもどちらかというと白湯であろう。白湯と清湯の国境線は引きがたいというのが現状か。まぁ、いずれにせよ、東北、北関東が清湯文化圏で、九州は白湯文化圏であることだけは確かだ。
チャーシュー チャーシューは大きく分けて、バラ、ロース、モモの3種があり、バラは脂身が多いがジューシーで柔らかく、モモはややパサついた感があるが脂身は少ない。鹿児島を除く九州ではモモ肉が多く使われ、みずみずしさがあまり無く、ラーメンにも1枚程度しか乗らない。ただ、鹿児島に関しては黒豚のロースやバラを使うところが結構あり、チャーシューの味では九州では群を抜いている。また、喜多方などもバラ肉を使う店が多く、普通のラーメンにも数枚乗せる。関西ではスライサーで薄くスライスしたモモ肉を用いる店が結構あり、九州のモモ肉とは違い、柔らかくてジューシーだ。また、調理法で分けると煮豚、焼豚、燻製などがあり、現在のラーメン店の殆どが煮豚を用いている。
ネギ ネギに関しては、全国至るところのラーメンに乗っている。しかし、地方によってその種類は異なる。特に東日本の醤油ラーメンには茎の部分を使う白ネギ(根深ネギ)がよく用いられるし、九州方面の豚骨ラーメンには葉の部分を使う細くて辛味の少ない万能ネギ(博多ネギ)がよく用いられる。また、関西では葉ネギでありながらやや辛味の利いた九条ネギ(京都ネギ)がよく用いられているようだ。なお、八王子系のラーメンでは、ネギの代わりにタマネギのみじん切りが乗っている。
メンマ メンマは九州地方や中国地方の西の方ではあまり用いられない。しかし、それ以外の地方では大抵用いられるようだ。メンマは大きく分けて、塩漬けメンマと乾燥メンマというのがあるが、地方による違いというのはあまり見られない。
ナルト ラーメンの具の一つとして必ず挙げられるナルトだが、未だにナルトを入れてるラーメン屋さんは結構少ないと思われる。特に九州地方では、ほぼ100%見られることはない。ナルトを実際に用いているのは、東日本(関東、東北)の老舗やその流れを引き継ぐ店くらいではなかろうか。
キクラゲ メンマとは逆に九州地方でよく用いられる具がキクラゲである。特に熊本ラーメンの店に入っていることが多い。また、博多などでもキクラゲを入れる店はときどき見られる。
ほうれん草 これも、全国的にみれば、あまり乗せている地方は少なそうだ。基本的にナルトを入れている店とほうれん草を入れている店はかぶっているとみて良いだろう。ただ、家系のラーメンは、ほうれん草を入れているが、ナルトは入れていない。
もやし これも全国的に広がっている具の一つと言って良いのではなかろうか。入れてない店もかなり多いが、北は北海道から、南は九州まで、地域レベルで見ると、かなりの広がりがあると言えよう。もやしにも色々な種類があり、北海道では太いもやしがよく用いられるのに対し、広島や九州(の一部)では細いもやしが好んで用いられる。
キムチ、ニラ 大阪を中心として関西地方によく見られるトッピングである。
高菜 博多ラーメンの店で辛子高菜としてトッピングでよく見られ、これを始めたのは博多の「のんき屋」だと言われる。熊本ラーメンの店では、高菜ラーメンとしてメニューに乗せていることの方が多い。
紅生姜 博多ラーメンの定番で、長浜屋台から広まったらしい。京都でも時々見られる。一方、清湯系のアッサリとした醤油ラーメンの店ではまず置いてないだろうし、どう考えても合わない。
店の名前 九州には「博龍軒」とかいった龍や軒が付く店が多い。和歌山には「丸高」のような丸(実際には○)の付く店が多い。喜多方は「坂内食堂」みたいに食堂と付く店が多い。横浜には「六角家」みたいに家の付く店が多い。(すなわち家系ということだが)