ラーメン好きへの道

私の実家は、福岡県△◆郡○×町。
博多からは電車で20〜30分のところにあるベッドタウンだ。
福岡市内ではないとはいえ、博多文化圏であったのは間違い無い。
誰もが子供の頃から、博多弁を喋っていたし、
町内のラーメン屋も殆どが豚骨ラーメンのお店だった。
だから、いつのまにか私の中には、ラーメンといったら
スープは白いものだという固定観念が出来ていたのだ。

中学高校時代の私は鹿児島で寮生活をしていた。
しかし、実家はずっと福岡県△◆郡○×町のままだったし、
そもそも、博多のラーメンと違うとはいえ、基本的に豚骨スープのお店が多かったので、
鹿児島のラーメンにさほど違和感を持つことは無かった。
それ以前に、今ほどラーメンに興味を持っていなかったので、あまりそういう意識もなかった。
(当時の私は鹿児島に居ながら、「のぼる屋」に行ったことが無かったのである!)
それでも、東京出身の友人が日清の「出前一丁」なんかを食べていると、
「そげな黒かスープはラーメンのスープじゃなか。
豚骨の白かスープやないと、俺はラーメンたぁ認めんばい。」
とか何とか、偉そうなことを言っていたものである。

さてさて、そんな田舎者の私が初めて東京にやってきたのが、大学入試のときである。
お店の名前は覚えていないが、日吉(横浜)の
中華料理店でラーメンを頼んだら、醤油色のスープが出てきて、
「おっ、やはり東京のラーメンは醤油味なんだな。」と納得した記憶がある。
また、お茶の水の「博多ラーメン」という店に行ったのもこのときであった。
今になって思えばそんなに美味しいお店だとは思わないが、
一人東京にやって来て苦しい受験をこなしていた私にとって、
東京で見つけた博多ラーメンのお店は、
あたかも砂漠の中に存在するオアシスのようですらあった。
当時の東京での九州ラーメンの隆盛を知らなかった私は、
「東京で豚骨ラーメンのお店をやっていくのは大変なんだろうな。
東京の人に豚骨ラーメンが受け入れてもらえるのかな?」
と勝手に心配しながらも、「俺だって受験頑張んなきゃな。」と独りで感動していたのである。
まあ、何はともあれ無事に大学に合格できた私は、東京で一人暮らしをすることとなったのだが、
それでも、ラーメンに目覚めるのは約1年経った後のことであった。

当時、下北沢に住んでいた私はあまりラーメンを食べることは無かった。
今は亡き「長浜どんたくラーメン」にはときどき行っていたが、そんなにハマるという訳でもなく、
また、「りきまる」「一龍」といった名店は、その存在すら知らなかった。
しかし、友達が学食でラーメンを食べていると、
相変わらず「ダメだよ〜。やっぱ、ラーメンはトンコツじゃないと。」
とか言って偉ぶっていたのであった。

さて、そんな私に第1の転換期が訪れた。
ある日、テレビでラーメンの番組をなんとなく見ていたのだが、
そこに物凄い行列の出来ているラーメン屋が映っていたのである。
そのお店の名は「なんでんかんでん」。それも、何と博多ラーメンのお店だというではないか!
東京にこんなに人気のある博多ラーメンのお店があったなんて!
テレビでは住所は世田谷区羽根木とまでしか出ていなかったのだが、電話帳で詳しい住所を調べて、
それから地図を見てみると、何と、ち、近い!チャリンコで10分とかからないではないか。
そういう訳で、後日友達と二人で食べに行くこととあいなった。
「おーっ!凄い行列やなぁ」
今までラーメン屋で並んで食べたことの無かった私にとって、それは未知の体験であった。
それにしても、豚骨の臭いが凄い。でもそれは、何か妙にノスタルジックな気持ちにさせてくれる臭い、
もしかして子供のときのデジャヴ?そんな臭いにも思えた。
そして、待つこと数十分。ようやくラーメンにありつけた。
見た感じ、えらく油っこそうなラーメンであったが、食べてみると、す、凄い。
それはまさに私が無意識のうちに頭に描いていた理想の博多ラーメンであった。
  (注:現在のなんでんかんでんのラーメンの味は、当時のものとはかなり変わったものになっています。)
そして、「博多ラーメンとはかくも凄いものなのか。
子供の頃から福岡で育って来たくせに、 ラーメンは豚骨だとか友達に言っていたくせに、
それなのに、俺は何も分かっちゃいないじゃないか。」
そう悟った私は、その日から電話帳のラーメン店の欄を調べて、
「九州」とか「博多」「とんこつ」とかいう名前のついた
お店をピックアップして、住所を頼りに地図帳に書き込んで
食べ歩くということを繰り返すようになった。
ラーメン本を買うようになったのも、この頃からである。
初めて買ったラーメン本は「ぴあ」のいわゆる赤本。今でも大事に持っている。

その年の夏、弟が東京に遊びに来たので、どこか連れて行ってやるハメになった。
そこで、連れて行ったのが、新横浜のラーメン博物館。
実は自分も今まで行ったことが無かったので、これを機にとばかりに新横浜まで行ったのだ。
勿論、私が行ったのは一風堂。弟達は純連に行ったので、独り寂しく食べた。
後で、弟達に「博多モンのクセに博多ラーメン食わんってのは何事や!」って言ったら、
「わざわざ、東京に来てまで博多ラーメン食おうとは思わん。」
と言い返された。なるほど、そりゃもっともだ。
また、このとき、ラ博のデータベースを見つけた私は、
九州の欄を開きクリックしながら色々とお店を見た。
でも、知ってるお店は「元祖長浜屋」「一心亭」「博多龍龍軒」くらいで、
その3店も知ってるだけで行ったことのないお店だった。
「俺は今までやれ博多ラーメンだの、やれ豚骨ラーメンだの、
って騒いでいたけど、博多の有名店に全然行ったことがないじゃないか。
長浜だって1回も行ったことが無いじゃないか。それなのに、博多ラーメンの何が語れる!」
そう思った私は、それからというもの実家に帰る度に、
毎日博多までラーメンを食べに行くようになったのだ。

さて、「なんでんかんでん」に出会ってからというもの、
私は東京中を美味い九州ラーメンを求めてさ迷い歩く日々を送っていた。
しかし、豚骨ラーメン以外のラーメンとなると全く興味を示さなかった。
殊に、醤油ラーメンに対しては敵意すら持っていた。
今になって思えば、醤油ラーメンを認めないってのは、ただの偏見に過ぎないし、
東京にも博多以上に素晴らしいラーメン文化が培われてきたことは充分分かっている。
でも、その当時は、醤油ラーメンを食べるということは、
自分の故郷である博多に対する背信行為であると思っていたのだ。
「東京に住んでても、心まで東京に売っちゃいない。
俺は九州の人間だ。だから豚骨以外のラーメンは食べない。」
そんなひねくれた考えを持っていた。

そんな私に、第2の転換期が訪れた。
それは、インターネットを始めたことである。
「とらさん」のHPは友達に教えてもらったし、ジャンボさんのHPは自分で見つけ出した。
そこには、誰でも自由に情報を書き込んだり、
質問をしたりすることができる、会議室というコーナーがあった。
初めの頃は、豚骨以外のラーメンは認めない的な書き込みをして顰蹙をかっていた。
しかし、だんだん会議室の雰囲気も分かって来たし、
自分なんかよりずっと凄い人達がたくさん書き込みをしているのも、次第に分かってきた。
(特に、第4回のTVチャンピオンラーメン王選手権に
会議室の常連の人が3人も出場していたのは驚きだった。)
そして、その人達の書き込みを読んだりしているうちに、
自分のラーメンに対する考え方もかなり変わって来たのである。
それまで豚骨至上主義から、醤油ラーメンも味噌ラーメンも、勿論豚骨ラーメンだって、
歴史はそんなに古くないかも知れないが、先人たちが育んで来た
食文化なんだということ思えるようになってきたのだ。
それに、実際食べ歩いてみると、醤油ラーメンだって確かに美味しいお店はある。
間違い無く、自分に合うお店はあるのだ。
自分達の文化を主張したいのなら、他人の文化も認めていかなければならない。
当たり前のことのようだが、ラーメンに関する限りそれまでの私はこのことが出来ていなかったのだ。

勿論、今でも故郷の博多には誇りを持っているし、豚骨ラーメンに対してのこだわりもある。
九州ラーメンの旗があるお店を見ると、不味そうだと分かっていても、つい入ってしまう。
でも、以前のように醤油ラーメンを認めないというような考えはもう無い。
そんなことよりも、もっと日本各地に根づいているラーメン文化を、
もっと知りたいという欲が沸いて来ている。
そして、それは知れば知るほど奥の深さが分かっていくし、それが楽しくてたまらない。
そんな凄いラーメンという食べ物にますますハマっている今日このごろである。

(1999年作成)